芥川也寸志



芥川也寸志年譜

 

1925年(大正14年・0歳)

7月12日、芥川龍之介の三男として東京市滝野川区(現・北区)田端435に生まれる。

母は海軍少佐の娘・文(1900-1968)。

兄は後の俳優・比呂志(1920-1981)。

次兄・多加志(1922-1945)

 

1927年(昭和2年・2歳)

7月24日、父・龍之介自殺(36歳)。

 

1930年(昭和5年・5歳)

4月、聖学院幼稚園入園。

 

1932年(昭和7年・7歳)

4月、東京高等師範学校附属小学校

(現在の筑波大学附属小学校)入学。

 

1941年(昭和16年・16歳)

4月、東京高等師範附属中学校4年在学時に

音楽を志し、橋本國彦に師事。

橋本の紹介で井口基成にピアノを師事。

バイエルから猛勉強を開始。

猛勉強のため肋膜炎を患う。

 

1943年(昭和18年・18歳)

4月、東京音楽学校予科作曲部に合格。

 

1944年(昭和19年・19歳)

東京音楽学校本科作曲部に進学。橋本國彦に近代和声学と管弦楽法、下総皖一と細川碧に対位法を、永井進にピアノを学ぶ。

10月1日、学徒動員で陸軍戸山学校軍楽隊に入隊。テナーサックス担当。

 

1945年(昭和20年・20歳)

軍楽隊を首席で卒業、教育総監から銀時計を賜った。

4月13日、次兄多加志ビルマで戦死。

8月15日終戦。

9月、東京音楽学校本科2年に復学。金子登に指揮を師事。

 

1946年(昭和21年・21歳)

4月、新たに作曲科講師として訪れた伊福部昭に師事する。

この頃、東京音楽学校お茶の水教場に仮寓。

 

1947年(昭和22年・22歳)

3月11日、東宝映画「四つの恋の物語」(音楽監督:早坂文雄)助手。

3月31日、東京音楽学校本科を首席で卒業する。本科卒業作品『交響管絃楽のための前奏曲』(死後、山田一雄指揮、新交響楽団で初演)。

5月3日、読売新聞主催「第17回新人演奏会」で『ピアノ三重奏曲』第3楽章を発表。

8月5日、東宝映画「銀嶺の果て」(音楽:伊福部昭)封切り。同音楽録音でピアノ演奏を担当。

 

1948年(昭和23年・23歳)

2月5日、NHKラジオ「現代日本の音楽」で『弦楽四重奏曲』『ラ・ダンス』放送初演。

4月1日、慶應義塾中等学部教諭として、1949年12月1日まで教鞭をとる。

9月26日、NHKラジオ「現代日本の音楽」で『交響三章』放送初演(東京フィル)。

この頃、世田谷区等々力町2-1575に住む。

 

1949年(昭和24年・24歳)

1月16日、NHKラジオで『小管弦楽のための組曲』放送初演。

3月31日、東京音楽学校研究科を卒業する。

4月2日、研究科修了演奏会でピアノ曲『ラ・ダンス』を発表。

10月5日、NHKラジオ連続放送劇『えり子とともに』放送開始(1952年3月3日まで127回の音楽を担当する)。

10月20日、歌曲集『車塵集』初演(小谷絢子独唱会)。

 

1950年(昭和25年・25歳)

2月20日、『交響管絃楽のための音楽』完成。

NHK放送25周年記念懸賞募集管弦楽曲に応募。

特賞入賞(團伊玖磨と共に特賞)。

3月21日、放送25周年記念入選集管弦楽曲発表演奏会で『交響管絃楽のための音楽』初演(近衛秀麿指揮、日本交響楽団)。

4月11日、『パプワ土蛮の歌』初演(ベルトラメリ能子独唱会)。

7月、『放送文化』(日本放送出版)に「新鋭作曲家 芥川也寸志訪問記 」掲載。

9月29日、バレエ『失楽園』初演(横山はるひバレエアートスクール、シャンブルノネット)。

10月26日、『交響三章』舞台初演(指揮尾高尚忠、日本交響楽団第320回定期)。

11月6日、バレエ・ファンタジー『湖底の夢』初演(高田せい子バレエ団、山田和男指揮、東京フィル)。

この頃、NHKラジオのために『ことりのうた』『ぶらんこ』等を作曲。

世田谷区多摩川奥沢町3-25に住む。

 

1951年(昭和26年・26歳)

4月11日、カンタータ『聖徳太子祝讃歌』(清水脩、團伊玖磨と共作)初演。

7月7日、ニューヨークWNYC局で『譚詩曲』放送初演。

この頃肋膜炎が再発して入院。

7月24日、バレエ『KAPPA』初演(遠山信二指揮、東フィル)。

 

1952年(昭和27年・27歳)

6月11日、NHKラジオにて『マイクロフォンのための音楽』放送初演。

11月22日、木馬座第1回公演『雪の女王』の音楽を担当。

  

1953年(昭和28年、28歳)

2月1日、『NHKテレビ放送開始と終了の音楽』放送開始。

3月5日、映画『煙突の見える場所』封切。音楽担当。

6月、團伊玖磨、黛敏郎と共に3人の会を結成。

6月1日、バレエ『湖底の夢』NHKで放送。

7月、『絃楽のための三楽章(トリプティーク)』完成。

10月30日、『マイクロフォンのための音楽』NHK放送。

10月31日、映画『地獄門』封切。音楽担当。

11月4日、バレエ『炎も星も』初演(上田仁指揮、東京交響楽団)。

11月23日、中央合唱団5周年記念演奏会『祖国の山河に』『仲間たち』発表。

11月29日、音楽童話『双子の星』放送初演(新日本放送)。

12月4日、『絃楽のための三楽章』初演(クルト・ヴェス指揮、ニューヨークフィル)。

 

1954年(昭和29年・29歳)

1月4日、NHK-TV『かっぱ川太郎―連続漫画―』(清水崑原作)』音楽担当。

1月26日、第1回「3人の会」『交響曲』を初演(作曲者指揮、東京交響楽団)。

2月6日、毎日映画コンクールで『煙突の見える場所』が第8回音楽賞受賞。

2月9日、『煙突の見える場所』および『夜の終わり』『雲のながるる果てに』の音楽によりブルーリボン賞受賞。

6月16日~7月7日、俳優座第27回公演『赤いランプ』の音楽でステレオシステムを使用して反響を呼ぶ。

8月、『音楽芸術』に「現代日本作曲家群像(60)芥川也寸志 / 富樫康」掲載。

10月7日、ウィーンに向けて出立。スイス、ハンガリー、ソ連、中国と、自作を携えて単身で密入国する。ソ連でショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、カバレフスキー、北京で馬思聡、江文也と交流。ソ連での自作楽譜出版を達成。当時のソ連で楽譜が公に出版された最初の日本人作曲家となった。

12月28日、上海交響楽団を指揮して自作演奏会を行う。

中国から香港(当時イギリス領)経由で半年後に帰国する。

 

1955年(昭和30年・30歳)

2月10日、帰国。

3月24日、モスクワでN.アノーソフ指揮、ソヴィエト放送交響楽団により『交響三章』上演。

3月29日~31日、実験工房、松尾明美バレエ団共同発表会「バレエ実験劇場」で『イルミナシオン』の音楽を担当する。

4月、『芸術新潮』に「わが外遊の収穫」掲載。

4月23日~24日、日本のうたごえ「春の大音楽会」で『交響組曲〈青年の歌〉』(小林秀雄、外山雄三、間宮芳生と共同編作曲)発表。芥川也寸志指揮、東京交響楽団。

5月23日、シンフォニー・オブ・ジ・エア-(ソーア・ジョンソン指揮)の来日公演で『交響管絃楽のための音楽』上演(後楽園球場)。

6月23日、第二回「3人の会」。東京交響楽団を指揮して『嬉遊曲』を初演。

8月3日、『絃楽のための三楽章(トリプティーク)』が、ワルシャワ青年平和友好祭で入賞。

10月15日、東京労音創立2周年「森の歌大合唱と交響曲のつどい」でショスタコーヴィチ『森の歌』とともに『絃楽のための三楽章』(国内初演)を指揮(東京交響楽団)する。

11月9日、東京労音アンサンブルに指揮者として迎えられる。

12月8日、上田仁指揮東京交響楽団第74回定期で『交響曲』改訂初演。

 

1956年(昭和31年・31歳)

2月4日、実験工房「ミュージック・コンクレート電子音楽オーディション」で『マイクロフォンのための音楽』上演。

3月1日、東京労音新交響楽団(新交響楽団)を結成、音楽監督、常任指揮者に就任する。以後、無給の指揮者としてこのアマチュアオーケストラと歩む。

3月22日~23日、ダーク・ダックス・リサイタルで『新聞』初演。

3月27日、『エローラ交響曲』完成。

4月、『フィルハーモニー』に「TOSHIROの魅力診断簿」掲載。

4月2日、第三回「3人の会」で『エローラ交響曲』初演(作曲者指揮、N響)。

10月1日、映画『裸の太陽』『道産子』封切。音楽担当。

『裸の太陽』で第9回ブルーリボン賞音楽賞受賞。

この頃、目黒区自由ヶ丘123に住む。

 

1959年(昭和34年・34歳)

2月5日、映画『裸の太陽』の音楽で第9回ブルーリボン賞を受賞。

2月15日、『霊気(Nyambe)』放送初演(NHK「現代日本の音楽」)。

6月、『音楽芸術』に「芥川也寸志 作曲家訪問」掲載。

11月3日、映画『野火』封切。音楽担当。

オペラ『暗い鏡』作曲に着手。

 

1960年(昭和35年・35歳)

1月14日、映画『女経』封切。音楽担当。

3月20日、オペラ『暗い鏡』放送初演(岩城宏之指揮、N響)。

3月27日、第四回「3人の会」。『暗い鏡』舞台初演。

4月13日、映画『ぼんち』封切。音楽担当。

9月27日、草月アートセンターの呼びかけにより黛敏郎、武満徹、間宮芳生、林光らと「作曲家集団」結成。

10月、間宮芳生らとともに日本現代音楽協会書記を務める(~1963年10月)。

11月1日、映画『おとうと』封切。音楽担当。

この頃、世田谷区祖師谷2-1139に住む。

 

1961年(昭和36年・36歳)

3月19日、映画『ゼロの焦点』封切。音楽担当。

4月28日、「作曲家集団・エキシビジョン1」で『パプア族の2つの旋律』(テープ音楽版)初演。

5月、『歯車の中で』作曲(永六輔台本、大阪労音委嘱)。

5月3日、映画『黒い十人の女』封切。音楽担当。

 

1962年(昭和37年・37歳)

2月22日、『ジオジオ物語』音楽担当、放送(文化放送)。日本民間放送連盟賞(第11回文芸番組部門佳作)、芸術祭賞(奨励賞)。

4月6日、映画『破戒』封切。音楽担当。

4月16日、第5回大阪国際フェスティバル

「3人の会による現代日本音楽の夕べ」で

『暗い鏡』上演。

4月30日、日本作曲家組合

(のちの日本作曲家協議会)発足。

5月27日、映画『東京湾』封切。音楽担当。

5月29日、日本作曲家組合委員に就任。

6月15日、著書『音楽の現場』刊行。

12月5日、14日、日本現代音楽協会「現代の音楽展1962」開催。

企画運営にあたる。

12月18日、第3回東京現代音楽祭で『絃楽のための音楽第1番』初演(若杉弘指揮、東京現代音楽祭弦楽団)。

 

1963年(昭和38年・38歳)

1月11日、NTV『私のクイズ』開始。司会者で出演。

1月13日、映画『雪之丞変化』封切。音楽担当(八木正生と共作)。

4月28日、映画『拝啓天皇陛下様』封切。音楽担当。

5月23日、成城学校劇の会で『原っぱらの子どもたち』初演。

5月25日、高橋悠治、一柳慧、小林健次らと「演奏家集団・ニューディレクション」結成。ブーレーズ『マラルメによる即興』(日本初演)などを指揮。

7月1日、『音楽芸術』に『絃楽のための音楽第1番』が掲載。

10月27日、映画『太平洋ひとりぼっち』封切。音楽担当(武満徹と共作)。

 

1964年(昭和39年・39歳)

1月5日、NHK大河ドラマ『赤穂浪士』放送開始。音楽担当(~12月27日)

1月10日~2月11日、アメリカ、ニューヨーク、ロサンゼルスなどに滞在。

2月17日、現代の音楽展64で『絃楽のための音楽第1番』演奏(ニューディレクション同人)。

3月31日、岩城宏之指揮、東京混声合唱団第36回定期で『お天道さま、ねこ、プラタナス、ぼく』初演。

7月13日、TBSラジオ「オーナー」開始。司会担当(~1966年10月1日)。テーマ音楽作曲。

11月21日、映画『五瓣の椿』封切。音楽担当。

 

1965年(昭和40年・40歳)

8月5日、TBSラジオ「今晩は音楽」の司会担当(~1966年4月7日)

9月4日、TBSTV「土曜パートナー」の司会担当(~1970年9月26日)

 

1966年(昭和41年・41歳)

4月4日、新交響楽団第9回演奏会(労音独立後の初演奏会)開催、指揮。

5月21日、成城・学校劇の会第11回公演で『子どものまつり』初演。

6月15日、『絃のための音楽』の楽譜刊行。

11月、『音楽芸術』に「今月の人 芥川也寸志氏/丹羽正明」掲載。

11月3日、『絃楽オーケストラのための陰画』放送(岩城宏之指揮、N響)。

 

1967年(昭和42年・42歳)

1月31日、ピアノ組曲『ラ・ダンス』楽譜刊行。

4月23日、TBSラジオ「100万人の音楽」開始。司会(~1989年4月9日)。

5月25日、『オスティナータ・シンフォニカ』初演。渡邉暁雄指揮、日フィル第141回定期。

5月30日、『絃楽のための三楽章』音楽之友社から楽譜刊行。

8月27日、オペラ『暗い鏡』を改作して、『ヒロシマのオルフェ』としてNHK-TVで放送初演(森正指揮、日フィル)。

8月27日、『東京ユニバーシアードマーチ』初演。

9月14日、東響ポップスコンサートで『赤穂浪士』のテーマを指揮。

9月22日~10月9日、日ソ青年有効委員会の派遣により、新交響楽団とソ連各地を演奏旅行。

11月12日、成城学園「劇の会」で『みつばちマーヤ』初演。

11月30日、著書『音楽を愛する人に』刊行。

 

1968年(昭和43年・43歳)

3月16日、NHK音楽祭バレエの夕べで、牧阿佐美バレエ団によりトリプティークを付随音楽としてバレエが上演される。

7月3日、アマチュア合唱団「鯨」結成。第1回定期演奏会開催、指揮。

8月、『ヒロシマのオルフェ』ザルツブルクオペラ審査員特別賞受賞。

9月11日、母・文子死去。

11月8日、明治百年記念芸術祭参加番組としてバレエ音楽『蜘蛛の糸』NHK-FMより放送。(森正指揮、ニューシンフォネット)。

 

1969年(昭和44年・44歳)

2月16日、秋山和慶指揮、東京交響楽団第173回定期で岩崎洸の独奏により『チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』初演(2月18日に外山雄三指揮、京響により岩崎独奏で再演)。

3月17日、第9回NHK音楽祭バレエの夕べでバレエ『蜘蛛の糸』指揮、初演(牧阿佐美バレエ団、東京フィル)。

9月23日、映画『地獄変』封切。音楽担当。

 

1970年(昭和45年・45歳)

1月10日、財団法人鳥井音楽財団(のちのサントリー音楽財団)評議員に就任(同財団音楽賞選考委員会、選考委員を終身務めた)。

2月9日、「現代の音楽展70」で山岡重信指揮、読売日本交響楽団により『エローラ交響曲』再演。

5月、世田谷成城2丁目22-3に新居完成。

5月14日、日本作曲家協議会副委員長に就任。

6月、江川眞澄と結婚。

11月25日、東京交響楽団第179回定期で、オルフ『カルミナ・ブラーナ』と共に『オスティナータ・シンフォニカ70』を指揮して初演。

 

1971年(昭和46年・46歳)

8月31日、著書『音楽の基礎』刊行。

10月4日、文化庁芸術祭主催管弦楽の夕べで森正指揮、N響により『オーケストラのためのラプソディ』初演。

 

1972年(昭和47年・47歳)

3月、『キネマ旬報』「映画音楽史を形造る人々/芥川也寸志」掲載。

6月28日、朝日新聞に「音楽教育への疑問」を寄稿(~7月12日・全3回)。

8月、『レコード芸術』に「日本の作曲家たち 芥川也寸志」掲載。

8月15日、ヤマハ音楽振興会専務理事に就任(~1976年3月31日)。

10月4日、読売新聞に「音楽教育を糺す」寄稿(~11月1日・全5回)。

12月3日~16日、ワルシャワ室内弦楽団来日公演で『絃楽のための三楽章』上演。

この年、『チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』楽譜刊行(日本作曲家協議会)。

 

1973年(昭和48年・48歳)

6月23日、童謡『やわらかいえんぴつが好きなんだ』で日本童謡賞受賞。

8月20日、著書『音楽の遊園地』刊行。

10月16日、財団法人鳥井音楽財団の理事に就任。

 

1974年(昭和49年・49歳)

7月3日、『エレクトーンとオーケストラのためのGXコンチェルト』指揮、初演(沖浩一独奏、東響)。ヤマハ音楽振興会委嘱。

10月19日、映画『砂の器』封切。音楽監督。

 

1975年(昭和50年・50歳)

1月、雑誌『レッスンの友』にインタビュー「ボクのモスクワ潜入記」掲載。

2月15日、映画『砂の器』で毎日映画コンクール音楽賞受賞。

6月1日、新交響楽団でストラヴィンスキーのバレエ三部作指揮。

 

1976年(昭和51年51歳)

2月、雑誌『ハミング』に「私の教育論」寄稿。

9月3日、10月11日、「日本交響作品展」で伊福部昭、早坂文雄、諸井三郎、清瀬保二、尾高尚忠ほか日本人作品10曲をとりあげる(新交響楽団創立20周年記念演奏会)。

11月、『音楽の世界』に「日本の作曲ゼミナール 芥川也寸志掲載。

 

1977年(昭和52年・52歳)

2月22日、読売新聞に「自伝抄」連載(~3月16日・全20回)。

3月5日、新交響楽団と共に第8回鳥井音楽賞受賞。

3月9日、日本オペラ協会公演で『暗い鏡』上演。

4月9日、NHKTV「音楽の広場」司会担当(~1984年3月23日)。

6月18日、映画『八甲田山』封切。音楽担当。

7月、北軽井沢の別荘を新築。

8月4日、8日、新交響楽団と鳥井音楽賞受賞記念コンサート(東京、大阪)。

8月10日、『自伝抄II』刊行。

10月4日、社団法人日本音楽著作権協会理事に就任。

10月29日、映画『八つ墓村』封切。音楽担当。

この年、ソニーカセットテープCM「芥川也寸志、音の便り」出演。

ACC CMフェスティバル(第17回ラジオCM部門秀作賞。

 

1978年(昭和53年・53歳)

4月1日、26日、新交響楽団「小倉朗交響作品展」を開催、指揮。

4月6日、映画『八甲田山』『八つ墓村』の音楽で第1回日本アカデミー賞音楽賞受賞。

6月10日、対談集『人はさまざま歩く道もさまざま』(7月10に「続」)刊行。

10月~11月、NHK「みんなのうた」で『ここは瀬戸内』が放送。

この年、ソヴィエト作曲家同盟より『チェロとオーケストラのためのコンチェルトオスティナート』楽譜刊行。

 

1979年(昭和54年・54歳)

1月18日、山形交響楽団第18回定期「芥川也寸志の世界」指揮。

3月1日、「こどものためのピアノ曲集 24の前奏曲」を雑誌『あんさんぶる』で発表開始(~1980年2月1日)。

4月6日、新交響楽団「日本の交響作品展3早坂文雄」開催、指揮。

5月3日、『森の好きなおとなとこどもの音楽童話〈ポイパの川とポイパの木〉』を指揮、NHK放送初演(黒柳徹子語り、東京フィル)。

9月24日、NHK特集「ああ荒城の月 瀧廉太郎生誕100年」放送(芥川もライプチヒまで取材旅行をした)。

10月29日、岩城宏之、黛敏郎らと共に旧奏楽堂保存に関する要望書を文部大臣あてに提出。

映画『日蓮』封切。音楽担当。

10月31日、日本作曲家協議会主催「東北の作曲家79」を指揮。

 

1980年(昭和55年・55歳)

2月17日、「奏楽堂を救う会」発足。代表委員を務める。

4月6日、新交響楽団「日本の交響作品展4伊福部昭」開催、指揮。

5月15日、『ポイパの川とポイパの木』で、第22回児童福祉文化奨励賞受賞。

7月11日、日本作曲家協議会委員長に就任。

7月20日、『NHK音楽の広場合唱曲集〈うたの旅〉』楽譜刊行。

8月1日、合唱曲『お天道さま・ねこ・プラタナス・ぼく』楽譜刊行。

 

1981年(昭和56年・56歳)

3月、「反核 日本の作曲家たち」の活動をはじめる。

4月5日、新交響楽団「日本の交響作品展5菅原明朗」開催、指揮。

5月6日~12日、第1回ソヴィエト国際音楽祭で、『チェロとオーケストラのためのコンチェルトオスティナート』を指揮。

7月、腹膜炎を患う。

7月18日、音楽と舞踊による映像絵巻『月』NHKTVで放送初演(第33回イタリア賞テレビ部門、イタリア放送協会賞。エミー賞)。

10月20日、兄・比呂志逝去。

11月1日、日本音楽著作権協会理事長に就任。

12月20日、著書『音楽の旅』刊行。

 

1982年(昭和57年・57歳)

1月12日、学校法人成城学園理事に就任(~1989年1月31日)。

4月2日、新交響楽団「日本の交響作品展6清瀬保二」開催、指揮。

5月23日、「反核日本の音楽家たち」演奏会開催、指揮者として松村禎三作品などを初演。

9月29日~10月10日、著作者作曲者協会国際連合総会出席のためにローマに赴く。

 

1983年(昭和58年・58歳)

1月12日、宮城フィルハーモニー協会(仙台フィル)理事、音楽監督就任。

4月2日、新交響楽団「日本の交響作品展7」開催、指揮。

5月13日、日本作曲家協議会、社団法人となる。会長に就任。

11月、雑誌『バンドジャーナル』に行進曲『風に向かって走ろう』楽譜掲載。

 

1984年(昭和59年・59歳)

2月24日、NHK「音楽の広場」3人の会特集放送。

3月2日、NHK「音楽の広場」旅とワインと男のおしゃれ放送。

4月1日、新交響楽団「日本の交響作品展8東北の作曲家たち」開催、指揮。

4月7日、NHK「N響アワー」開始、司会担当(~1988年11月26日)。

5月16日~23日、第2回ソヴィエト国際音楽祭に招かれ、訪ソ。

5月19日、モスクワで『ヒロシマのオルフェ』(演奏会形式)上演。

10月20日、「近代音楽館を設立する会」発足。運営委員長に就任。

11月23日、伊福部昭・交響コンサートのために『アイアイゴムテイラ』をオーケストレーション、指揮して初演。

 

1985年(昭和60年・60歳)

3月、科学万博つくば85のために『EXPO85〈ここは宇宙〉』を作曲。

3月11日~17日、NTV「ムック」のワイン取材及び、CISAC理事会出席のためにフランスへ赴く。

4月7日、新交響楽団「日本の交響作品展9小山清茂」開催、指揮。

5月、『ヒロシマのオルフェ』、モスクワ・ダンチェンコ劇場のレパートリーに加えられる。

11月3日、紫綬褒章受賞。

 

1986年(昭和61年・61歳)

1月30日~2月5日、訪ソ。

2月2日、モスクワで日ソ音楽協会「日本交響作品展」開催。ゲルギエフ指揮、ソ連文化省交響楽団により、小倉朗『舞踊組曲』、松村禎三『ピアノ協奏曲第2番』とともに『ラプソディ』が演奏される。

2月3日、日ソ音楽協会「日本室内楽の夕べ」で『弦楽のための三楽章』が演奏される。

2月17日、「紫綬褒章を祝う会」開催。

3月10日、第37回日本放送協会放送文化賞受賞。

3月19日、20日、21日、NHK「芥川也寸志ドレミファワンダーランド」放送。

4月8日~9日、CISAC理事会出席のためにモントリオールへ。

4月9日、NHK『武蔵坊弁慶』放送開始、テーマ音楽を担当(~12月3日)。

4月17日、FM東京開局15周年記念委嘱『交響組曲〈東京〉』第4楽章「アレグロ・オスティナート」を指揮して初演(東京交響楽団)。

9月18日~24日、東京交響楽団の中国公演に團伊玖磨とともに随行。

10月12日、サントリーホール落成式典で委嘱作『オルガンとオーケストラのための響』初演(サヴァリッシュ指揮、N響)。

11月24日、芥川也寸志と新交響楽団(大和市)開催、指揮。

11月30日、新交響楽団「日本の交響作品展10新響と三十年ー芥川也寸志」開催、指揮。

12月27日、財団法人ヤマハ音楽振興協会理事に就任。

12月、サントリー音楽財団から委嘱を受け、オラトリオ『古事記』を構想する。

 

1987年(昭和62年・62歳)

2月1日、新交響楽団と「サントリー音楽賞受賞者コンサート」出演。

4月4日、新交響楽団「中国作品展」開催、指揮。

4月6日~11日、CISAC理事会のためにシドニーへ赴く。

5月2日~15日、中国の招きにより訪中。

5月8日、財団法人日本近代音楽財団理事に就任。

7月4日、朝日新聞にエッセイ「ぷれりゅうど」連載(~12月26日・全26回)

10月1日、日本近代音楽館発足。運営委員、事業委員に就任。旧奏楽堂、上野公園に移築開館。

11月1日~16日、訪中。

11月7日、上海交響楽団を指揮して「日本の交響作品展」開催。伊福部昭『タプカーラ交響曲』早坂文雄『左方の舞と右方の舞』とともに『弦楽のための三楽章』も上演。

11月9日~16日、上海国際音楽コンクール審査員を務める。

 

1988年(昭和63年・63歳)

2月27日、「伊福部昭先生の叙勲を祝う会」のために『ゴジラの主題によせるバラード』を指揮して初演。

4月3日、新交響楽団第119回演奏会「マニュエル・デ・ファリャ」開催、指揮。

4月24日、新交響楽団とともに「旧東京音楽学校奏楽堂演奏会」開催、指揮。

4月25日~5月7日、CISAC理事会出席のためにハーグへ赴く。

5月23日、昭和大学藤が丘病院に検査入院。肺がんと診断される。

6月16日~7月17日、国立がんセンターに入院。『いのち』を病床で作曲。

6月29日、手術を受ける。

9月14日、日本作曲家協議会会長を辞任。

11月22日、再入院。

12月5日、再手術。

この年、『オルガンとオーケストラのための響』楽譜刊行(サントリー音楽財団・日本作曲家協議会)。

 

1989年(平成元年)

1月31日、肺炎のため死去。『日扇聖人奉讃歌〈いのち〉』がオーケストレーション未完のまま遺作となった(生前に松村禎三の紹介により、鈴木行一へオーケストレーションを委ねて完成)。

2月、勲二等瑞宝章受賞。

2月4日、N響アワー「―芥川也寸志さんをしのんで―」放送。

5月2日、芥川也寸志追悼演奏会。

7月、芥川のアドバイスを受けて建築された田園ホール・エローラが開館。

1990年(平成2年)

4月、芥川の功績を記念してサントリー音楽財団により「芥川作曲賞」が創設された。

 

 

主要作品

 

歌劇

「ヒロシマのオルフェ」(1960年、1967年改訂/台本:大江健三郎)

 

管弦楽

交響管絃楽のための前奏曲(1947年)

交響三章(トリニタ・シンフォニカ)(1948年)

小管絃楽のための組曲(1949年) 

交響管絃楽のための音楽(1950年)

バレエ音楽「失楽園」(1950年)

バレエ音楽「湖底の夢」(1950年) 

バレエ音楽「Kappa」(1951年) 

バレエ音楽「炎も星も」(1953年) 

絃楽のための三楽章(トリプティーク)(1953年)

交響曲第1番(1954年、1955年改訂)

嬉遊曲(1955年) 

子供のための交響曲「双子の星」(1957年)

エローラ交響曲(1958年)

絃楽オーケストラのための陰画(1966年)

オスティナータ・シンフォニカ(1967年)

舞踊組曲「蜘蛛の糸」(1968年)

チェロとオーケストラのための「コンチェルト・オスティナート」(1969年)

オスティナータ・シンフォニカ'70(1970年)

オーケストラのためのプソディー(1971年)

エレクトーンとオーケストラのためのGXコンチェルト(1974年)

秋田地方の子守歌(1977年) 

Do Re Mi Fa Sol La Si Do!(1978年)

Clapping Orchestra(1978年)

森のすきなおとなとこどものための音楽童話「ポイパの川とポイパの木」(1979年)

March1979「栄光をめざして」(1979年/オーケストラ版)

音楽と舞踏による映像絵巻「月」(1981年)

交響組曲『東京』より「アレグロ・オスティナート」(1986年) 

オルガンとオーケストラのための「響」(1986年) 

ゴジラの主題によせるバラード(1988年)

 

吹奏楽

Marcia in do(1959年) 

March1979「栄光をめざして」(1979年/吹奏楽版)

行進曲「風に向かって走ろう」(1982) 

 

ピアノ・ソロ

前奏曲集「田舎より」(1944年)

ピアノ詩曲(1944年)

無題(1946年)

ラ・ダンス(1948年)

24の前奏曲(1979年-1980年)

遊園地(1984年)

赤ずきん(1985年)

5本の指の踊り(1985年)

ちっちゃなワルツとちっちゃなメヌエット(1986年)

ノクターン(1987年)

 

室内楽

ピアノ三重奏曲(1946年)

弦楽四重奏曲(1948年)

ヴァイオリンとピアノのための譚詩曲(1951年)

マイクロフォンのための音楽(1952年)

Nyambe(1959年)

絃楽のための音楽第1番(1962年)

ヴァイオリンとピアノのためのSASARA(1978年)

ヴァイオリンとピアノのための東北の獅子舞(1978年)

3つの子供のうた(1978年、2Vn・2Vc・ピアノ)

 

声楽曲

車塵集(1949年、メゾソプラノ独唱・ピアノ)

パプア島土蛮の歌(1950年、声・ピアノ) 

小鳥のうた(1952年)

雪(1983年、メゾソプラノ独唱・ピアノ)

あやめ(1984年、アルト独唱・ピアノ)

若木の枝のねむの花(1985年、メゾソプラノ独唱・ピアノ)

コスモスの花(1986年、アルト独唱・ピアノ)

 

合唱曲

心の種子(1951年、合唱・ピアノ)

新聞(1955年、無伴奏男声4部合唱)

パプワ族2つの旋律(1957年、男声合唱と打楽器) 

お天道様・ねこ・プラタナス・ぼく(1958年、無伴奏混声合唱)

沖縄民謡集 1.谷茶前、2.あやぐ子守唄、3.だんじゅかりゆし(1965年、混声・ピアノ)

うたの旅(1977年 - 1984年、NHK『音楽の広場』のための曲集)

21世紀賛歌・人間はまだ若い(1983年、混声合唱・2管Orch)

佛立開導日扇聖人奉讃歌“いのち”(1988年、混声合唱・3管Orch、鈴木行一補作)

 

著書

現代人のための音楽(新潮社/1953年) - 共著

現代音楽に関する3人の意見(中央公論社/1956年) - 團伊玖磨、黛敏郎と共著

私の音楽談義(青木書店/1956年、音楽之友社/1959年、ちくま文庫/1991年)

音楽の現場(音楽之友社/1962年)

音楽を愛する人に――私の名曲案内(筑摩書房/1967年)

音楽の基礎(岩波新書/1971年)

音楽の遊園地(れんが書房/1973年 、旺文社文庫/1982年)

人はさまざま歩く道もさまざま――芥川也寸志対話集(芸術現代社/1978年)

人はさまざま歩く道もさまざま――芥川也寸志対話集 続(芸術現代社/1978年)

音楽の旅(旺文社文庫/1981年)

ぷれりゅうど(筑摩書房/1990年)

 

 

映画音楽作品リスト

1951・1・29 えり子とともに[第1部]監督/豊田四郎藤本プロダクション、新東宝

1951・2・5 えり子とともに[第2部]監督/豊田四郎藤本プロダクション、新東宝

1952・1・17 青春会議 監督/杉江敏男、東宝

1952・2・28 南国の肌 監督/本多猪四郎木曜プロダクション、東宝

1952・7・3 いとし子と耐えてゆかむ 監督/中川信夫、東映東京

1952・7・8 若い人 監督/市川崑、東宝

1952・10・30 いついつまでも(音楽監督:早坂文雄)監督/ポール・H・スローン、大映

1952・12・10 春の囁き 監督/豊田四郎、東京映画、東宝

1953・1・15 吹けよ春風 監督/谷口千吉、東宝

1953・3・5 煙突の見える場所 監督/五所平之助、スタジオ8プロダクション、新東宝 第4回ブルーリボン賞音楽賞(第4回から新設され、初の受賞者となった)第8回毎日映画コンクール音楽賞

1953・3・11 抱擁 監督/マキノ雅弘、東宝

1953・4・8 夜の終り 監督/谷口千吉東宝

1953・4・22 飛び出した日曜日 監督/村田武雄、東宝

1953・4・22 私は狙われている 監督/田尻繁、東宝

1953・5・13 銀二郎の片腕 監督/青柳信雄、新東宝

1953・5・14 愛情について 監督/千葉泰樹、東宝

1953・6・9 雲ながるる果てに 監督/家城巳代治、重宗プロダクション、新世紀映画

1953・6・15 戦艦大和 監督/阿部豊、新東宝

1953・7・1 続思春期 監督/本多猪四郎、東宝

1953・9・15 広場の孤独 監督/佐分利信、俳優座、新世紀映画

1953・10・31 地獄門 監督/衣笠貞之助、大映京都

1954・4・20 大阪の宿 監督/五所平之助、スタジオ8プロダクション、新東宝

1954・5・19 風立ちぬ 監督/島耕二、大雅社、東京映画、東宝

1954・6・22 ともしび 監督/家城巳代治、新世紀プロダクション、キヌタプロダクション

1954・11・22 最後の女たち 監督/楠田清創映プロダクション

1955・5・17 サラリーマン目白三平(共作:武満徹)監督/千葉泰樹、東映東京

1955・5・31 33号車応答なし 監督/谷口千吉、東宝

1955・6・19 たそがれ酒場 監督/内田吐夢、東宝

1955・8・28 たけくらべ 監督/五所平之助、新芸プロダクション、新世紀映画

1955・8・31 夏目漱石のこころ 監督/市川崑、日活

1955・9・13 花ひらく 監督/藤原杉雄、まどかグループ、新世紀映画

1955・9・27 続サラリーマン目白三平 監督/千葉泰樹、東映東京

1955・9・28 自分の穴の中で 監督/内田吐夢、日活

1955・11・15 浮草日記 監督/山本薩夫、山本プロダクション、俳優座、松竹

1956・1・29 彼奴を逃すな 監督/鈴木英夫、東宝

1956・3・22 雪崩 監督/山本薩夫、東映東京

1956・6・8 或る夜ふたたび 監督/五所平之助、歌舞伎座映画、松竹

1956・10・9 猫と庄造と二人のをんな 監督/豊田四郎東京映画、東宝

1956・12・19 台風騒動記 監督/山本薩夫、山本プロダクション、まどかグループ

1957・2・28 黄色いからす 監督/五所平之助、歌舞伎座映画、松竹

1957・3・4 米 監督/今井正、東映東京

1957・5・21 伴淳・森繁の糞尿譚 監督/野村芳太郎、松竹京都

1957・6・25 異母兄弟 監督/家城巳代治、独立映画

1957・7・30 危険な英雄 監督/鈴木英夫、東宝

1957・9・1 挽歌 監督/五所平之助、歌舞伎座映画、松竹

1957・9・1 お姉さんといっしょ(共作:草川啓)監督/青山通春、桜映画社

1957・9・15 夕凪 監督/豊田四郎、宝塚映画、東宝

1957・10・15 穴 監督/市川崑、大映京都

1957・11・5 脱獄囚 監督/鈴木英夫、東宝

1958・1・9 負ケラレマセン勝ツマデハ 監督/豊田四郎、東京映画、東宝

1958・2・8 怒りの孤島 監督/久松静児、日本映画社

1958・3・7 新中国横断記録 新しき大地(共作:林光)監督/八木保太郎、光報道工芸映画

1958・3・18 螢火 監督/五所平之助、歌舞伎座映画、松竹

1958・6・24 欲 監督/五所平之助、松竹京都

1958・8・5 花の慕情 監督/鈴木英夫、東宝

1958・10・1 裸の太陽 監督/家城巳代治、東映東京

1958・10・1 道産子 監督/金子精吾、芸術映画社

1958・12・7 蟻の街のマリア 監督/五所平之助、歌舞伎座映画、松竹

1958        佐久間ダム総集篇 監督/高村武次、岩波映画製作所

1959・1・27 花のれん 監督/豊田四郎、宝塚映画、東宝

1959・4・14 からたち日記 監督/五所平之助、宝塚映画、東宝

1959・5・19 男性飼育法 監督/豊田四郎、東京映画、東宝

1959・6・9 どんと行こうぜ 監督/野村芳太郎、松竹大船

1959・6・23 鍵 監督/市川崑、大映東京

1959・6・30 花嫁の蜂 チェゴリザ 監督/伊勢長之助、日映新社、東宝

1959・9・20 暗夜行路 監督/豊田四郎、東宝

1959・11・3 野火 監督/市川崑、大映東京

1960・1・3 「通夜の客」より わが愛 監督/五所平之助、松竹京都

1960・1・14 女経 監督/吉村公三郎、市川崑、増村保造、大映東京

1960・4・5 白い崖 監督/今井正、東映東京

1960・4・13 ぼんち 監督/市川崑、大映京都

1960・6・11 白い牙 監督/五所平之助、松竹京都

1960・9・20 最後の切札 監督/野村芳太郎、松竹大船

1960・9・27 マッキンレー征服 監督/伊勢長之助、東映教育映画部

1960・11・1 おとうと 監督/市川崑、大映東京

1960・8     海を渡る友情 監督/望月優子、東映教育映画部

1961・1・3  猟銃 監督/五所平之助、猟銃プロダクション

1961・3・19 ゼロの焦点 監督/野村芳太郎、松竹大船

1961・4・4  別れて生きるときも 監督/堀川弘通、東宝

1961・5・3  黒い十人の女 監督/市川崑、大映東京

1961・5・16 東京夜話 監督/豊田四郎、東京映画、東宝

1961・7・9  雲がちぎれる時 監督/五所平之助、松竹京都

1961・8・6  背徳のメス 監督/野村芳太郎、松竹京都

1961・11・22愛情の系譜 監督/五所平之助、松竹大船

1961・3     巨船ネス・サブリン 監督/楠木徳男、岩波映画製作所

1962・4・6  破戒 監督/市川崑、大映京都

1962・5・27 左ききの狙撃者 東京湾 監督/野村芳太郎、松竹大船

1962・9・1  かあちゃん結婚しろよ 監督/五所平之助、松竹大船

1962・11・18私は二歳 監督/市川崑、大映京都

1963・1・13 雪之丞変化(共作:八木正生)監督/市川崑、大映京都

1963・3・31 嘘 監督/増村保造、吉村公三郎、衣笠貞之助、大映東京

1963・4・28 拝啓天皇陛下様 監督/野村芳太郎、松竹大船

1963・9・20 100万人の娘たち 監督/五所平之助、松竹大船

1963・9・20 太平洋ひとりぼっち(共作:武満徹)監督/市川崑、石原プロダクション、日活

1964・1・1  続 拝啓天皇陛下様 監督/野村芳太郎、松竹大船

1964・11・21五辨の椿 監督/野村芳太郎、松竹大船

1965・1・30波影 監督/豊田四郎、東京映画、東宝

1965・10・30恐山の女 監督/五所平之助、フレンドプロダクション

1965・10・30地獄変 監督/豊田四郎、東宝

1970・6・5 影の車 監督/野村芳太郎、松竹

1974・10・19 砂の器(音楽監督/作曲:菅野光亮)監督/野村芳太郎、橋本プロダクション、松竹 第29回毎日映画コンクール音楽賞

1977・6・18 八甲田山 監督/森谷司郎、橋本プロダクション、シナノ企画、東宝 第1回日本アカデミー賞最優秀音楽賞作

1977・9・23 八つ墓村 監督/野村芳太郎、松竹 第1回日本アカデミー賞最優秀音楽賞作

1978・6・3  事件(共作:松田昌) 監督/野村芳太郎、松竹

1978・10・7 鬼畜 監督/野村芳太郎、松竹 第2回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1979・3・10 日蓮 監督/中村登、永田雅一プロダクション、松竹 第3回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1979・10・6 配達されない三通の手紙 監督/野村芳太郎、松竹 第3回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1980・1     一粒の麦からウイスキーとその世界  監督/藤瀬季彦、岩波映画製作所

1980・6・28 わるいやつら(共作:山室紘一)監督/野村芳太郎、松竹 第4回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1980・11・22 震える舌 監督/野村芳太郎、松竹 第4回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1982・9・15 幻の湖 監督/橋本忍、橋本プロダクション、東宝 第6回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

1982・9・18 疑惑(共作:毛利蔵人)監督/野村芳太郎、松竹・霧プロダクション 第6回日本アカデミー賞優秀音楽賞作

 

放送音楽

えり子とともに(1949年)

エンゼルはいつでも(1951年)- 森永製菓CM曲

赤穂浪士(1964年)

世界の恋人(1964年)- 日産自動車社歌、企業CM曲

松坂屋 テレビバーゲン- イメージ音楽

愛の学校クオレ物語(1981年) - オープニングテーマ「クオレ物語」、エンディングテーマ「白い日記」

武蔵坊弁慶 オープニングテーマ(1986年)

団体歌(社歌・組合・地方公共団体)[編集]

日本航空の歌(1963年、詞:谷川俊太郎)

JALマーチ(1964年、詞:谷川俊太郎)

日産自動車社歌 - 「世界の恋人」(1964年、詞:野上彰)

曙ブレーキ工業社歌(1966年、詞:社歌制定委員会)

三菱電機讃歌(1970年、詞:谷川俊太郎)

日本ペイント社歌(1980年、詞:岩谷時子)

東京ガス讃歌(1984年、詞:谷川俊太郎)

ネグロス電工株式会社「山あるところ山を越え」/詞:宮沢章二/1987

東洋レーヨン(現・東レ)労働組合歌/詞:村上政二郎

全林野労働組合歌(1955年、詞:鶴野孝典)

自治労・組合歌/詞:原口拓三

東京ロータリークラブ「いざ友よ」/詞:星野哲郎/1986

慶應義塾大学ワグネル・ソサエティーの歌~管弦楽と男声合唱のために/詞:藤浦洸/1950

松山市の歌(1979年、詞:大野志津根)

三鷹市民の歌/詞:河西新太郎

大潟村民の歌/詞:村上一栄

鹿児島ナポリターナ/詞:ホセ・しばさき

校歌(幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・専門学校)[編集]

鳴海ヶ丘幼稚園 

弘前大学教育学部附属小学校

新潟県長岡市立大河津小学校  詞:片桐顕智

新潟県柏崎市立鯨波小学校  詞:保坂弘司

新潟小学校/詞:西條八十

群馬県前橋市立若宮小学校  詞:有川美亀男

千葉市立稲毛小学校 詞:松原至夫/1953

千葉県市川市立宮田小学校  詞:西條八十/1955

千葉県市原市立平三小学校 詞:松原至大 2016年閉校

埼玉県皆野町立皆野小学校 詞:金子伊昔紅

埼玉県越谷市立蒲生小学校(作詞:下山つとむ)

東京都足立区立舎人第一小学校 詞:片岡輝

東京都足立区立皿沼小学校 詞:片岡輝

東京都足立区立辰沼小学校 詞:村山俊幸

東京都葛飾区立道上小学校 詞:勝承夫

東京都世田谷区立東玉川小学校 詞:栗原源七

東京都渋谷区立富谷小学校 詞:PTA

東京都立川市立第七小学校 詞:原田重久/1963

東京都西東京(田無)市立谷戸小学校 詞:宮田重雄/1958

長野県松本市立鎌田小学校 詞:亀井勝一郎/1957

長野県松本市立島内小学校 詞:臼井吉見/1969

長野県塩尻市立片丘小学校 詞:西岡実/1968

信州大学教育学部附属松本小学校 詞:臼井吉見/1958

三重県渡会郡南勢町迫間小学校 詞:楠井不二/1972/廃校

長野県平谷小学校・中学校 詞:臼井吉見/1964

青森県中津軽郡大浦村外二ケ村学校組合津軽中学校(現・岩木町立津軽中学校) 詞:横山武夫/1952

宮城県気仙沼市立津谷中学校 詞:水上不二/1958

宮城県気仙沼市立大島中学校 詞:水上不二

秋田県羽後町立羽後中学校 詞:井上靖/1975

新潟県両津市立東中学校 詞:佐藤春夫(平成24年より統合され、佐渡市立両津中学校となり新校歌が公募され現在は使われていない)

新潟県春日村(現・上越市)春日中学校/詞:亀井勝一郎/1957 廃校

福島県石川町立石川中学校 詞:栗原一登

千葉県千葉市立緑町中学校 詞:松原至大

千葉県市原市立八幡中学校 詞:松原至大

千葉県市原市東海中学校 詞:市原三郎

千葉県君津市立周南中学校

埼玉県川口市立元郷中学校 詞:服部嘉香

埼玉県さいたま市立本太中学校 詞:本太中学校/1953

慶應義塾中等部 詞:折口信夫/1948

東京都文京区立第八中学校 詞:校歌選定委員会

東京都墨田区立両国中学校 詞:佐藤義美/1950

東京都にしみたか学園三鷹市立第二中学校詞:服部嘉香/1957

神奈川県藤沢市立長後中学校 詞:草野心平

神奈川県相模原市立上溝南中学校 詞:宮沢章二/1983

神奈川県箱根町立仙石原中学校 詞:谷馨 2008年閉校

長野県東筑摩郡波田町立波田中学校 詞:西尾実/1963

長野県安曇野市立堀金中学校 詞:臼井吉見/1953

名古屋市立桜丘中学校『天地の』 詞:柏木義雄/1986

京都教育大学附属京都小中学校中・高等部 詞:伊吹武彦/1957

愛媛県大洲市立大洲北中学校 詞:小山龍之輔(北中と南中は同じ学校が分かれて2つになったため同じ歌詞・同じ作曲の校歌を持つ)

愛媛県大洲市立大洲南中学校 詞:小山龍之輔(北中と南中は同じ学校が分かれて2つになったため同じ歌詞・同じ作曲の校歌を持つ)

徳島県阿南市立阿南第一中学校 詞:西尾実、山下宏/1967

広島県廿日市市立大野東中学校 詞:石本美由起

北海道赤平茂尻高等学校/詞:藤島宇内/1958?/現在は閉校

青森県立弘前南高等学校/詞:小野正文

宮城県立東陵高等学校/詞:佐藤朔

山形県立寒河江高等学校

常総学院中学校・高等学校(茨城県)/詞:西澤爽

群馬県立高崎高等学校/詞:草野心平/1957

群馬県立富岡東高等学校/詞:佐藤春夫/1952

樹徳高等学校(群馬県)

千葉県立鎌ケ谷西高等学校/詞:大賀初太/1981

千葉県立佐倉高等学校『第二応援歌』

東京都立井草高等学校

東京都立竹台高等学校/詞:土岐善麿/1955

日体荏原高等学校・桜華女学院(東京都)/詞:室生犀星

山梨県立甲府昭和高等学校/金田一春彦/1984

静岡県立修善寺工業高等学校/詞:井上靖/1957 2010年、統合により校歌変更。

静岡県立吉原工業高等学校

三重県立尾鷲高等学校長島校/詞:津坂忍/1958 2008年閉校

岐阜県立東濃高等学校/詞:佐藤春夫/1951

京都府立洛北高等学校・附属中学校 詞:吉田幸次郎

京都府立北稜高等学校/詞:佐藤孝雄

京都府立莵道高等学校詞:吉田金彦/1987

岡山県立吉備北陵高等学校/詞:小川博文 2008年に岡山県立高梁高等学校に統合された。

岡山県立矢掛高等学校/詞:小川博史

岡山県立琴浦高等学校(2005年岡山県立倉敷鷲羽高等学校に統合し閉校)/詞:柏野勝子

岡山県玉野市立玉野商業高等学校

徳島県立小松島高等学校校歌/詞:神保光太郎

香川県立高松高等学校/詞:川西新太郎

鹿児島市立鹿児島女子高等学校/詞:菅原杜子雄/1960

高崎商科大学/詞:依光良馨

早稲田大学『早稲田の栄光』詞:岩崎巌

法政大学学生歌『未来圏から吹く風』/詞:條達夫

流通経済大学応援歌「われらが勇者」詞:北耕平

紅陵大学(現・拓殖大学)新応援歌/詞:大木敦夫/1949

京都府立大学「曙」/詞:小谷勝一

大阪産業大学

労働大学の歌「われら労大の仲間」/詞:清水克二

武蔵野短期大学/詞:田健一

大阪社会事業短期大学(1982年廃止)/詞:小野十三郎

埼玉県警察学校寮歌/詞:中村彬之助

中央協同組合学園/詞:西澤爽/2000年に廃校

武蔵野看護専門学校/詞:草野心平/1953

魚菜学園 自由が丘お料理学校/詞:佐藤沙羅夫

 

(2016年版・西耕一作成)