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『黛敏郎個展─涅槃交響曲へ至る道─』の意義

■『黛敏郎個展─涅槃交響曲へ至る道─』の意義■  小林 淳


 

 筆者にとって黛敏郎(1929-97)は悩ましい作曲家のひとりである。まずは、どの視点からアプローチするのが得策となるのかがわからない。個人のフィールドにかんがみれば、やはり映画音楽ジャンルから彼の音楽世界、創作空間に立ち入っていくのが自然なのだが、では、映画音楽作品を詳らかに聴いていけば黛を理解できるか、実態に迫れるか、となるとそうした手応えはあまり寄せてこない。しかし、容易に鑑賞できる純音楽作品がそれほど多くないため、カラフルな響きが確実につかみ取れ、音楽志向(嗜好)が比較的平易に伝わってくる映画音楽に接することで黛敏郎の作家性、音楽性、音楽観、思想、映画音楽演出術等々を学んでいこうとする、また同時に、彼が遺した文化遺産、国際的評価などの類にも想いを馳せ、特にこれといった確信が得られないままにこの作曲家、彼の音楽を理解していこうとする……。このようなとらえ方は少なからずの黛敏郎ファン、日本現代音楽愛好家、映画音楽マニアが共有するものであると思われる。


 黛敏郎には“戦後現代音楽の異端児”“前衛作曲家の申し子”といった種のレッテルが常についてまわる。「題名のない音楽会」の司会役と同等の扱いで語られる傾向にある“タカ派の文化人”も同様である。特にアヴァンギャルドといった形容を用いやすい黛の作風から生まれる上記の二つは、彼に触れる際にはどうしても避けられないものである。『ミュージック・コンクレートのための作品X・Y・Z』(1953)『涅槃交響曲』(1958)『曼荼羅交響曲』(1960)などの管弦楽作品、舞踊音楽『BUGAKU(舞楽)』(1962)、オペラ音楽『金閣寺』(1976)も含め、黛の代表作に誰もがあげてくる作品群が横溢させる凄まじいまでの熱波と混沌とした巨大空間から滲出する異界風世界観、宗教観、観念に圧倒されるがゆえでもある。なにも好き好んで難解なものとして受け止めるのではない。圧迫感とも閉塞感とも表現できる息苦しさ、呼吸不全を覚えさせるかのごとき音楽の殺気、狂態に屈服させられてしまうのだ。黛の音楽というとどこか取りつきにくさ、親しみにくさ、受け手ではなく作品側が鑑賞者を選別する性質が感じ取れる。聴く側もそれなりの覚悟と心構えを必要とする作品群であり、作曲家といえる。

 

 一方的な受け止め方と指摘されるかもしれない。筆者は一側面しかとらえていないのか。だが、黛の映画音楽作品を聴き込んでいけば自ずとそれは見えてくる。彼は1950年、自分を映画音楽分野に招いた吉澤博との合作という形で松竹大船作品『花のおもかげ』(家城巳代治監督)で映画音楽デビューを飾った。ちょうど『10楽器のためのディヴェルティメント』(1948)が文部省芸術際において優秀邦人作品として演奏され、『スフェノグラム(楔形文字)』(1950)が1951年度国際現代音楽祭に入選して西ドイツ(当時)のフランクフルトで奏でられた頃にあたる。黛敏郎という作曲家の存在が楽壇で語られ始めた時期にも重なる。松竹大船の音楽部に所属し、また指揮者も兼務していた吉澤に才能を見込まれた黛は、彼ばかりでなく同社の音楽部長である万城目正からも映画音楽の書き方を教え込まれた。諸人を惹きつける音楽の重要性を黛は吉澤、万城目から学んだのである。

 

 だからなのであろう。1950 年代前期に書かれた黛映画音楽のあまたは耳に馴染みやすい響きを持っている。木下忠治との共作となった、木下惠介監督作『カルメン故郷に帰る』(1950/松竹大船)、ひとりで音楽を担当した続編の『カルメン純情す』(1952/同)、市川崑監督作『足にさわった女』(1952/東宝)『プーサン』(1953/同)『青色革命』(同)……。難解な感触はほぼつかめない。素朴で、朗らかで、美しく、優しい調べが印象に強い。純音楽作品(タイトル名は堅苦しいが)もおおむね例外の類には入らない。つまりは、黛を理解が困難な、消化のしにくい、近寄り難い音楽を書く人と安直に述べるわけにはいかないのだ。作曲家としての欲望、野心が剥き出しになった時代の鳴り、響きが一つの、それも必ずしもプラスとはいえないイメージを与えたものとみられる。映画音楽分野では、映画評論家と黛の論争が話題を撒いた、溝口健二監督作『赤線地帯』(1956/大映)、さらに市川崑監督作『炎上』(1958/同)、同じく市川の監督作で国民的映画ともなった『東京オリンピック』(1965/東京オリンピック映画協会)の音楽形態がもたらしたものも小さくはなかったと思える。

 

 黛映画音楽の初期の頃の音楽意匠には致し方ない事情もあった。映画音楽作品は発注先の要望に当然のことながら応えなければならない。手練であれば監督や製作者と膝を交えた討議のもとに自分の考え、構想をさらけ出すこともできようが、デビューしたての黛がすでに大御所の域に達していた万城目正や吉澤博、または百戦錬磨の映画監督の前で自己主張するのはやはり身分的にも難しいものがあったろう。だから黛のこの時代の映画音楽は、どこまでも黛音楽の嗜好性という論点からではあるが、それほどの面白味は見出せない。嚙み応えもない。

 

 とはいっても、そうした条件下でもその人の個性は滲み出るのである。黛は純音楽作品(またはその範疇に収まる作品)では己の志向に忠実な音楽世界をとことん研鑽していき、一方、商業音楽では依頼主の要望、思惑を十分に理解し、万人が何の障害もなく受け容れられる音楽を書いた。映画音楽作品の多くからはその相貌が如実に伝わってくるし、日本テレビ系列のプロ野球、プロレス中継でいつも聞こえてきたNTVの「スポーツ行進曲」(1953)はその典型的な例となる。子供の頃は読売巨人軍ファン、プロレスはジャイアント馬場派だった筆者にとり、この楽曲は忘れ難い思い出を引き連れてくる。

 

 一方、およそこの時期の彼の純音楽作品で聴けるものはそう多くはない。聴きたいけど聴けない、知りたいけどわからない、研究したいけど研究資料が見当たらない、このような一種のフラストレーションをあまたの黛ファンは嚙み締めているのではないか。そうしたなかで、今回の『黛敏郎個展─涅槃交響曲へ至る道─』である。黛が東京音楽学校に入学して作曲の道を歩み始め、フランス政府留学生として渡仏してパリのコンセルヴァトワールで得た経験を基礎に据えて作曲家として邁進し出した頃の創作に今回のコンサートは着目している。『オールデゥーブル』(1947)『エレジー』(1948)『10楽器のための喜遊曲/ディヴェルティメント』(同)『スフェノグラム(ソプラノとアンサンブルのための)』(1950)『Musique pour Noce』(1953)『六重奏曲』(1955)、東京オリンピックの開会式で再生演奏された電子音楽『オリンピック・カンパノロジー』(1965)、そして『新幹線車内音楽』(1968)と並ぶ。

 

 このラインナップはいったい何であろう。聴いたことのない作品ばかりではないか。タイトル名すら知らなかったものもある。世界初演作もある。これらが今宵、聴衆の耳に一気に達してくる。水戸博之の指揮、オーケストラ・トリプティークの演奏によって生の音となって迫ってくる。黛ファンはいうにおよばず、日本の現代音楽ファンにとっても慶事と称すべき出来事であろう。若き日の黛は、音楽が表し得る芸術形式、音楽が乗せて表し出す芸術思想とはいかなるものかと摸索していた時代の黛は、純音楽作品ではどのような調べを奏で、音色を立ち上げ、律動を刻み、音響を空間に漂わせ、そして何より音楽で何を唱えようとしていたのか。その回答の一端がまさしく堰を切ったように押し寄せてくるはずだ。

 

 本演奏会では初期作品が複数披露される。主に映画音楽作品でしか若き時代の響きに容易に接することのできない現況にある黛音楽の知られざる一面を差し出してくるばかりでなく、初期映画音楽作品から、一例をあげれば『ミュージック・コンクレートのための作品X・Y・Z』を経て『涅槃交響曲』へと流れていく黛の百花繚乱たる時代における空白期の一部を埋めるものともなろう。その意義たるやはかり知れない。黛敏郎研究を一つのライフワークに見定める本演奏会プロデューサー、西耕一の独壇場であり、真骨頂である。この催しは彼が今までに培ってきたものを一気に吐き出す一つの研究発表の場でもあろう。西たちの辣腕のもとに黛敏郎の音楽、黛敏郎という作曲家の全貌はすべからく明かされていくに違いない

 

小林 淳(こばやし あつし)

 

1958(昭和33)年、東京生まれ。映画・映画音楽評論家。

幼少時より東宝怪獣映画、SF特撮映画を中心に映画に親しみ、その過程で伊福部昭の映画音楽に多大な影響を受ける。以降、映画音楽分野にも注目しながら日本映画、外国映画に接していく。1990年代初期より文筆・評論活動を開始し、「キネマ旬報」誌や東宝のムックなどで伊福部昭のインタビューを数多く担当する。その成果の一端として1998年に初の著書『伊福部昭の映画音楽』(ワイズ出版)を上梓。その後も書籍を中心に映画、映画音楽に関連する文筆・評論活動を行っている。

 

【著書】

『伊福部昭の映画音楽』(1998:ワイズ出版)/『日本映画音楽の巨星たち Ⅰ』[早坂文雄、佐藤勝、武満徹、古関裕而](2001:同)/『日本映画音楽の巨星たち Ⅱ』[伊福部昭、芥川也寸志、黛敏郎](同)/『日本映画音楽の巨星たち Ⅲ』[木下忠司、團伊玖磨、林光](2002:同)/『伊福部昭 音楽と映像の交響』上・下(2004、2005:同)/『佐藤勝 銀幕の交響楽シンフォニー』(2007:同)/『ゴジラの音楽――伊福部昭、佐藤勝、宮内國郎、眞鍋理一郎の響きとその時代』(2010:作品社)/『伊福部昭と戦後日本映画』(2014:アルファベータブックス)/『本多猪四郎の映画史』(2015:同)/『岡本喜八の全映画』(同)

 

【編著】

『伊福部昭綴る──伊福部昭 論文・随筆集──』(2013:ワイズ出版)/『伊福部昭語る──伊福部昭 映画音楽回顧録──』(2014:同)/『伊福部昭綴るⅡ──伊福部昭 論文・随筆集──』(2016:同)

【主な執筆参加書】

『サウンドトラックGold Mine』(音楽出版社)/『サウンド派映画の聴き方』(フィルムアート社)/『ニッポン歌謡映画デラックス 唄えば天国』上・下(メディア・ファクトリー)/『フィルムメーカーズ/ジェームズ・キャメロン』(キネマ旬報社)/『フィルムメーカーズ/コーエン兄弟』(同)/『武満徹全集』(小学館)/『映画遺産・オールタイム・ベストテン―映画音楽篇』(キネマ旬報社)等