室内合唱団「日唱」による伊福部昭個展によせて

伊福部昭の合唱   根岸一郎

 



 

いわゆる西洋音楽の合唱を聴き慣れた耳には、伊福部昭の合唱作品はかなり異質なものに響くに違いない。旋法風で独特なメロディが、ドローン的低音やリズム・オスティナートに支えられて展開する伊福部の音楽は近代の西洋音楽がその発展の根幹としてきた機能和声や対位法に囚われることなく、全く異なる美学のもとに成立しているからだ。

現代の似非文明に蝕まれた感性を嘲笑うかのように、伊福部の音楽は、人類が芸術を手にした原初の姿を明らかにし、太古の巨岩のように屹立し、原始林のように、我々を包みこむ。

しかし、伊福部音楽の単純性や原始性が異様な迫力と説得力を持つのは、それがただ素朴なナイーヴな感性によって生み出されたものではなく、最高の教養人が、反骨と反俗の精神によって、軟弱な現代芸術への警鐘として獲得したものだからである。若き日、近代和声の禁則のみで曲を書き上げ、十二音音楽華やかなりし頃、基本構成音六音で大コンチェルトを発表する姿にその反骨精神がよく表れている。

さて、そんな伊福部が合唱を扱うとどうなるのか。伊福部音楽では、アイヌのウポポ、雅楽の追い吹きのような擬似カノンの例などを除き、西洋風のポリフォニーは排除されている。さらに、機能和声に囚われるのを嫌って、伊福部は三和音を避ける。空虚五度、あるいは三度だけ、または笙の響きを模して三度を四度に変換してしまう。こうなると、合唱の場合は自然と二声的な扱いになってくる。最も強い表現が必要となれば、ユニゾンが威力を発揮する。

伊福部合唱音楽では多声部の華麗な絡み合いなどを期待してはならない。巨大な旋律を集団が声を合わせて謳いあげる、そのエネルギーを感じるべきである。個性的にして極めて効果的な書法であり、16世紀以降の機能和声や、バッハの完成した対位法のように垂直に組み立てられた音響が形造る音楽ではなく、西洋音楽でいえば、初期ルネッサンスの旋法的音楽か、むしろそれ以前の中世オルガヌムの水平的拡がりをもった音響構造を想起させる。それは西洋音楽が西洋音楽としての発展をみせる前に遡る音楽であり、伊福部の求めるものが狭いナショナリズムの謳歌などではなく、己の民族性を通して音楽の本質を捉えようとするものであることの証でもあろう。

名著「管絃楽法」(もちろん楽器としての「人声」の章がある)を著したオーケストレーションの達人、伊福部らしく、「オホーツクの海」では合唱における声部の選択の巧みさが光る。局面に応じての女声、男声、混声の使い分けが、絶妙の効果を見せる。伊福部のオーケストレーションはブロックごとの変化が常に鮮明であるが、合唱の書法でもその個性は明らかである。

「シレトコ半島の漁夫の歌」は、ピアノ伴奏の独唱歌曲から、オーケストラ伴奏の合唱曲に書き直す際、メロディの構造についてもかなりの改変がなされた。独唱版では三連符、付点リズム、変拍子、またはテンポの指示が細かな起伏を作っていたが、合唱版ではより平坦なリズムに変わり、強弱の変化も穏やかになった。これにより、重厚な響きがより強調されるとともに、繊細な動揺をみせる個人的な感慨を謳う独唱版とは全く異なる、抑制した表現に民族の深い諦観を湛えた合唱版が誕生している。中間部、アイヌの漁歌は大きく書き換えられ、合唱の効果を十二分に発揮している。

「全開発の歌」では、合唱もさることながら特筆すべきはピアノ伴奏の特殊性であろう。極めて低い音域で常に和音が連打され、不撓不屈の行進を強調するが、三番に至って左手はついにクラスターの轟音を叩き出す。労働のエネルギーか、開発工事の爆音か、とにかく驚くべき効果であり、団体歌においてとられた書法としては空前絶後の前衛性を示す過激作である。

なお「北海道讃歌」は言わずと知れた伊福部団体歌の代表作であるが、合唱譜としては、オーケストラ伴奏の短縮版で、一番を男声、四番を混声で合唱する版を、確認することができた。しかし、森みつの詩も郷土愛に溢れる名品である、今回はピアノ伴奏によって四番全てを混声合唱でお送りしたい。

 

映画音楽においても伊福部は人声を巧みに使ってきた。特に歴史大作や宗教作品での合唱の効果は絶大だった。演奏会の後半は、オリジナルスコアから編曲したエレクトーン伴奏によって、代表的な声楽付き映画音楽のいくつかをお聴きいただきたい。

最初は児童向け映画、影絵劇「せむしの子馬」(これは映画ではないが…)、アニメーション「セロ弾きのゴーシュ」、「わんぱく王子の大蛇退治」から印象的な声楽曲を選んでみた。「大蛇退治」以外の二作品は実際に見ることが困難なもので、ファンにとっては幻の作品であろう。

続いて、「忠臣蔵」「鯨神」「反逆児」のメインタイトルで歌われた歌曲である。重厚な時代劇に伊福部の音楽は欠くことのできぬものであった。明治初期が舞台である「鯨神」は厳密には時代劇とは言えないかも知れないが、日本の「白鯨」と言うべき、実に雄渾な作品である。本来はアルトのみだが、今回は男声も加えると共に、本編ではカットされていた部分を含め、スコア通り演奏する。これらのタイトル曲は全てユニゾンで歌われる、伊福部の骨太のメロディの魅力が集約された作品群である。

「ひろしま」はいまだ戦禍の傷跡の残る1953年、広島市民の全面協力のもとに制作された、原爆を題材とする映画のなかでも特筆すべき最重要作であり、昨今各地で自主上映会が頻繁に開催され、その反戦のメッセージはさらなる拡がりを見せている。原爆の凄まじい惨状の場面が延々と続くシークエンスに伊福部は、哀悼を込めた鎮魂の調べを与えた。「ゴジラ」「ビルマの竪琴」など数多くの映画でも聴かれ、純音楽作品では「オホーツクの海」に結実する、伊福部の最も愛した楽想のひとつであり、ここでは、混声合唱のヴォカリーズが天からの慟哭を伝える。「オホーツクの海」と共通する楽想でありながら異なる処理が施されている点も味わいたい。

 演奏会の最後は、問答無用、お馴染みの特撮怪獣映画からの合唱組曲である。このジャンルは伊福部の独擅場だった。着ぐるみにせよCGにせよ巨大怪獣に真の命を与える魔力を持っているのは伊福部の音楽のみである。このことは、先頃公開された新作「シン・ゴジラ」でも証明されたばかりだ。特撮映画では特に怪獣を恐れ崇める謎の秘境の住民たちの熱狂的な民俗儀式のシーンで、合唱が絶大な威力を発揮していた。伊福部音楽の類い希なエネルギーに身を委ね、遥かなるファロ島やインファント島、あるいは海底に眠るムウ帝国に想いを馳せて存分にお楽しみいただきたい。(以上、敬称略) 


根岸一郎(ねぎし・いちろう/バリトン・マルタン)

 

 武蔵野音楽大学声楽科、早稲田大学文学部フランス文学専修卒業。パリ第IV大学修士(比較文学)修了。第29回フランス音楽コンクール(大阪)第2位入賞および日仏音楽協会=関西賞、フランス総領事賞他受賞。第11回日仏声楽コンクール(東京)第3位入賞。アンリ・ソーゲ国際コンクール2000"L'art du Chant"(マルティグ)「フランス歌曲賞」受賞。カミーユ・モラーヌ、中村浩子、川村英司、村田健司の各氏に師事。演奏活動は幅広く、特に精緻なディクションによってフランス近代歌曲での評価が高く第17回以来日仏声楽コンクール審査員を務める。ヴォーカル・アンサンブル・カペラ、ムジカ・センペンティスなど古楽アンサンブルメンバーとして中世・ルネサンス音楽の分野で多くの演奏、録音に参加。 オペラへの出演も、グルック「思いがけない巡り会い」、トマ「ミニヨン」、マスネ「マノンの肖像」、ドビュッシー「アッシャー家の崩壊」、セヴラック「風車の心」、石桁眞礼生「河童譚」、三木稔「うたよみざる」、青島広志「火の鳥(ヤマト編)」など、日本初演作を含んで多彩である。伊福部昭氏の作品には深く傾倒し、意欲的に演奏を重ねている。日本フォーレ協会、コンセール・C、東京室内歌劇場会員、トロッタの会同人。日本合唱協会監事。

2016年、日唱「伊福部昭個展」の企画運営に携わる。スリーシェルズよりCD「伊福部昭の団体歌」をリリース予定。